成田(なりた)為三(ためぞう)
(1893〜1945 秋田)
成田為三は,大正時代に起こった童謡 運動において活躍 した作曲家として知られています。
明治26年,秋田県に生まれた彼 は,21歳 で東京音楽学校の師範 科に入り,また個人的に山田耕筰 に作曲を学びました。在学中に,林古渓 の詩「浜べ」をもとに歌曲「浜辺の歌」を作曲し,このデビュー作が彼の代表作となりました。
卒業後は,小学校の音楽の先生をしながら作曲を続け,童話雑誌『赤い鳥』に多くの童謡を発表しました。特に,それまでは詩だけが発表されていたこの雑誌に,初めて楽譜 付きで掲載 された彼の「かなりや」は,日本の童謡の第1号であり,たいへん好評を呼びました。
彼はその後,28歳からドイツに4年間留学して作曲を学び,帰国後はいくつかの学校で教えながら,『和声学』などの著作も手がけました。そのほか,作品にはピアノ曲,管弦楽曲 などがありましたが,その多くは空襲 で失われています。
成田為三は,大正時代に起こった
明治26年,秋田県に生まれた
卒業後は,小学校の音楽の先生をしながら作曲を続け,童話雑誌『赤い鳥』に多くの童謡を発表しました。特に,それまでは詩だけが発表されていたこの雑誌に,初めて
彼はその後,28歳からドイツに4年間留学して作曲を学び,帰国後はいくつかの学校で教えながら,『和声学』などの著作も手がけました。そのほか,作品にはピアノ曲,
※東京音楽学校:現在の東京芸術大学音楽学部。
※師範科:学校の先生になるための勉強をする科。