團(だん)伊玖磨(いくま)
(1924〜2001 東京)
團伊玖磨は,戦後の日本で,オペラから童謡 にいたるさまざまな音楽を書いた作曲家です。
大正13年に東京で生まれた彼 は,小学生のころからピアノを習い,18歳 で東京音楽学校の作曲科に入ります。また個人的に,山田耕筰 にも作曲を学びました。第二次大戦の学徒動員の時期には陸軍戸山 学校軍楽隊に入り,終戦後,音楽学校にもどります。
卒業後は諸井 三郎 に学び,26歳のとき「交響曲 イ調」がNHKの管弦楽 曲懸賞 の特賞となります。続いて28歳のときに初演されたオペラ「夕鶴 」は,日本のオペラとしてはかつてない大ヒットとなり,長年にわたって上演が繰り返されました。その後,彼は,芥川 也寸志 ,黛 敏郎 とともに「3人の会」を結成して多くの管弦楽曲を発表したのをはじめ,77歳で世を去るまでさまざまな作品を手がけました。
主な作品は,民族的な題材に基づく7つのオペラと,西洋の伝統的スタイルによる6曲の交響曲,多数の管弦楽曲などです。そのほか,ラジオ歌謡 「花の街」,混声合唱組曲「筑後 川 」,童謡「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」など,今日まで広い世代に親しまれる歌も残しています。また彼は随筆家 としての顔ももち,30年以上にわたって雑誌連載 したエッセイ「パイプのけむり」は,多くのファンに愛されました。
團伊玖磨は,戦後の日本で,オペラから
大正13年に東京で生まれた
卒業後は
主な作品は,民族的な題材に基づく7つのオペラと,西洋の伝統的スタイルによる6曲の交響曲,多数の管弦楽曲などです。そのほか,ラジオ
※東京音楽学校:現在の東京芸術大学音楽学部。
※諸井三郎(1903-1977):戦前より