大分県: |関の鯛つり唄|鶴崎踊|日田祇園囃子|
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関の鯛つり唄 |
大分市の東部に位置する佐賀関町は,漁業が中心の町です。「関あじ」「関さば」はとても有名で,味もいいと評判です。佐賀関町の沖合,豊予海峡にある高島を中心とする海域一帯はたい,ぶり,いさきなどおいしい魚のたくさんとれる漁場で,特に一本づり(さおを使うつり)専用の漁場としてにぎわっています。そうした漁業を題材とした民謡が「関の鯛つり唄」です。 歌詞は次のようなお話が元になってつくられたそうです。 「一本づりでつり上げたたいは,船の中に設けられた生け簀に入れて生きたまま大阪方面の魚市場に運びます。たいは「腐っても鯛」と言われるほどですから,魚の中でも最上のクラスです。まして,ぴちぴちとはねる生きたたいとなれば,高値はまちがいなしです。漁師さんたちは,たいでたくさんもうけました。」 このような話をもとした「関の鯛つり唄」は,江戸時代から歌いつがれてきたものです。二拍子のゆるやかな調子で,ただよう波間につり糸を垂れて船をこぐ漁師たちの姿が思いうかべられます。その後,時の流れとともに,だんだん歌われなくなっていきましたが,昭和17年ごろ,数人の人たちの努力で再び歌われるようになりました。囃しにある「鯛ならつりこめ,鰤ならはねこめ」は,つりの動作をそのまま表現したものです。 また「関の鯛つり唄」は,昭和41年に開かれた大分国体で,開会式のマスゲームの曲として使われて,そろいの衣装を着た1500人の華麗で勇壮な踊りは会場の人たちに感動をあたえました。それ以来,佐賀関町でも夏には関の鯛つりおどり大会が開かれるようになり,多くの人に歌い踊られるようになりました。 【参考曲】 豊後追分 草地踊り |
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鶴崎踊 |
「鶴崎踊」は,大分市鶴崎地区に古くから伝わる盆踊りです。この踊りには,ゆったりとしたテンポで優雅に踊る「猿丸太夫」と,速いテンポで軽快に踊る「左衛門」の2種類があります。今日,一般的に「鶴崎踊」と呼ばれているものは「猿丸太夫」ですが,「左衛門」の方が長い歴史をもっているといわれています。 江戸時代,鶴崎は参勤交代を行うときに使われる港町であり,京都や大阪との交易の窓口としてもたいへん栄えていました。そのような豊かな地区の盆踊りとして育ったこともあり,とても華やかな雰囲気があります。 現在,毎年8月に開かれる「本場鶴崎踊大会」では,たくさんの踊り手たちがいくつもの輪になり,太鼓や三味線,笛,胡弓などによるお囃子の音に合わせて踊る姿を見ることができます。 |
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日田祇園囃子 |
日田市では,毎年7月に,300年以上の伝統をほこる「日田祇園祭」が行われます。 このお祭りは,隈八坂神社,若宮神社,豆田八坂神社の三社の祇園祭で,各地区の山鉾(神社の祭礼に引かれる山車の一つ)が,祭り囃子の音色とともに,伝染病や風水害がなくなることを願うため,市内を練り歩きます。 日田祇園囃子が現在の形になったのは,江戸時代の終わりに,小山徳太郎が,日田の代官のお供で訪れた長崎で,明笛*を習い,日田に持ち帰ったことが始まりと伝えられています。 笛と三味線,太鼓で演奏され,リード役の笛は,明笛とつながりのある篠笛になります。 曲目は,大きく2つに分けられ,市内を練り歩くときに演奏される「道囃子」と,山小屋に納めるときや出発するときなどに演奏される「役物」とがあり,江戸時代の終わり以降の流行歌をアレンジしたものです。 日田祇園祭の山鉾は,歌舞伎の一場面を題材としたかざりつけが行われ,一部の屋形(地位や身分のある人の住む立派な家)を除いて,人形とかざりは毎年新しくします。台車には,祭り囃子を演奏する人たちが乗る囃子台があり,その上に人形と屋形を設置する舞台が置かれます。夜になると,ちょうちんをつけた山鉾が市内を練り歩く「晩山」が行われます。 このお祭りは,平成8(1996)年に,国の重要無形民俗文化財の指定を受け,平成28(2016)年には,「日田祇園の曳山行事」として,ユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載されました。 *明笛:明(現在の中国)より伝わった横笛のこと。 |
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