島根県: | 石見神楽| 安来節|
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石見神楽 |
「石見神楽」は,島根県西部の石見地方に伝わる伝統芸能で,神に捧げる歌や踊りのことです。毎年,秋祭りのときに神社に奉納されたり,神を祭る行事や祝い事のときに,各地区ごとに夜通し演じられます。 この神楽の始まりは安土・桃山時代より前といわれています。もともとは,豊作に感謝をするための神事として神職によって行われていました。江戸時代後期に入ると,古事記や日本書紀などの神話が加えられるようになります。その後,明治時代の初めごろからは,神職ではなくその土地に住む人たちによって行われるようになりました。勇ましい舞であり,現在では30種類以上の演目があります。中でも「大蛇」はスケールの大きさとダイナミックな動きで知られています。 神楽を演じるときに演奏されるお囃子には,緩やかなテンポの六調子と,比較的テンポの速い八調子の2種類があります。もとは六調子でしたが,それが改良されて八調子が生まれました。現在,主流となっているのは八調子です。 楽器には大太鼓,小太鼓,手打鉦,笛が使われます。リズムの軽快さや衣装の華やかさが特徴的で,大阪万博で紹介されたことをきっかけに海外公演も行うようになり,日本文化を伝える郷土芸能として国際交流にも役立っています。 |
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安来節は島根県の代表的な民謡で,ユーモラスな「どじょうすくい」の唄としても広く親しまれています。たくさんの歌詞があり,リズムはゆったりとしていて,歌詞の長さによって歌い方がちがいます。基本はありますが,その場で思いついて唄ったり,ちがう民謡の歌詞や調子をうまく取り入れて唄ったたりすることもできます。 安来市は古くから鉄や米を積み出す港として栄えてきました。江戸時代の中ごろ,港に出入りする船頭たちが唄ったふるさとの唄がまざりあって「さんこ節」が生まれました。この唄をもとにして,江戸末期には,いろいろな音楽の影響を受けて,今のような「安来節」になったといわれています。 明治時代になると,安来に古くから伝わる「月の輪まつり」で唄われ,人々の生活にも深く結び付いていきました。そして,明治の終わりごろ,渡部お糸という唄の名手が現れて評判になり,正調安来節保存会がつくられました。お糸は「安来節」のレコードを出したり,一座を組んで全国を回り,その人気の高さは,大阪や東京に安来節の専門館が建ったほどです。 昭和になって,安来市で「安来節全国優勝大会が開かれるようになりました。安来節保存会の支部は全国各地にあり,各地の予選で選ばれた人たちが日本一を競う大会です。種目は,唄・三味線・鼓・どじょうすくい踊り・銭太鼓です。小学生からお年寄りまで広い年代の人たちが参加し,全国から大勢の人が訪れます。 安来市内の学校では,学習にどじょうすくい踊りや銭太鼓を取り入れています。小さいころから安来節に親しんだ子どもたちが,大きくなっても気軽に口ずさんだり踊ったりして,友達の輪が広がっています。また,安来節を地域の大切な宝物として,ほかの地域の人や世界の人たちとつながる方法として,もっともっとたくさんの人に親しんでほしいと願っています。 |
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