愛知県: |岡崎五万石|岡崎地方の子守歌|
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岡崎五万石 |
「岡崎五万石」は,岡崎地方に伝わる民謡です。この民謡がいつごろ生まれたものなのか詳しいことは分かっていませんが,かつて岡崎市の西を流れる矢作川を船で行き来していた船頭たちが,舟歌として歌い始めたという説など,いくつかの説があります。岡崎には,徳川家康が生まれた岡崎城があり,江戸時代のころは特別な場所として扱われていました。民謡の歌詞に「お城下まで船が着く」という部分がありますが,お城から歩いてわずか3,4分のところに船を着けられる場所があるということは,城下町の人たちの自慢でもありました。歌われなくなってしまった時期もありましたが,大正時代に復活しました。さらに昭和2年(1927年)には,野口雨情作詞補修,中山晋平作曲による新しい「新五万石(岡崎城下小唄)」が誕生して,ともに親しまれるようになりました。 |
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岡崎地方の子守歌 |
ねんねんよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねんよ この子守歌をきくと,「おや,これって『江戸子守歌』じゃないの?」と思う人もいるのではないでしょうか。 「江戸子守歌」は, ねんねんころりよ おころりよ 坊やよい子だ ねんねしな の歌詞で始まる有名な子守歌です。よく似ていますが,はじめに出ている子守歌は,実は愛知県の岡崎に古くから伝わる子守歌なのです。こんなによく似た子守歌がなぜ岡崎と江戸のように遠く離れた土地で歌われているのでしょうか。 今から400年ぐらい前,徳川家康が江戸幕府を開いたとき,岡崎の家臣やその家族を大勢江戸へ連れて行きました。岡崎地方の子守歌が江戸でも歌いつがれ,この子守歌がもとになって「江戸子守歌」が生まれたといわれています。 岡崎地方の子守歌の歌詞の一部を紹介〔しょうかい〕します。 ねんねんよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねんよ まだ夜が明けぬ お目覚にゃ早い よい子だ泣くなよ ねんねんよ ねんねんよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねんよ 日暮れの花の つぼまるように よい子だ泣くなよ ねんねんよ ねんねんよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねんよ 抱くは母ぞ なでるも母ぞ よい子だ泣くなよ ねんねんよ 【参考曲】 ・岡崎小唄 ・悠紀齋田御田植唄 |
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花祭は, 神々に 舞は,40 花祭は,昭和51(1976)年に国の *東栄町の布川地区は毎年3月に行われていましたが,平成31年をもって,当分の間,休止となっています。 |
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