富山県 |おわら風の
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おわら風の |
おわら風の盆は, 「おわら」という名の由来は,
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こきりこ |
「こきりこ」は,越中五箇山の上梨の山里を中心に伝承された民謡です。上梨の古い神社である白山宮に伝えられてきたのですが,五箇山が開発されるにつれてだんだんと歌われなくなりました。昭和の初めごろに,詩人の西条八十が古い文献に書いてあるという「こきりこ」を訪ねて,わざわざ五箇山まで来ました。このことをきっかけに,五箇山に残る老人から聞き取り調査をしてみると,山崎しいというおばあさんが小さいころに村のおじいさんから「コッケラコ」という歌を教えてもらったということが分かったのです。このおばあさんの覚えていた歌を楽譜にして発表し,現在の「こきりこ」がよみがえったのです。 「こきりこ」は田楽として歌いつがれてきました。田楽とは,田植えにあたり豊作をいのる田遊びから発達した都市の芸能で,平安時代から南北朝の時代にかけて大流行したそうです。長い間独自の文化をはぐくんできた五箇山にそのような都の文化が残っているのは,外部のだれかが伝えたのだろうと考えることができます。 この「こきりこ」は,昭和28年に全国郷土芸能大会に出場したり,その後,中学校の音楽教科書に掲載されたりしたので,全国的に広く知られるようになりました。 現在,「こきりこ」は,筑子,びんざさら,棒ざさら(摺りざさら),鍬金,笛,鼓,太鼓といった日本古来の楽器を使って演奏しています。古い絵の中にあるものや歌の中に出てくる楽器を使っているのです。踊りについては,古い絵や昔の踊りを覚えていたおじいさんたちから教えてもらったものを再現しています。「奉納こきりこ踊り(しで竹踊り)」や「放下僧のささら踊り」「こきりこ手踊り」などで構成されています。 服装も鎌倉時代のものを再現するなど,越中五箇山筑子唄保存会を中心に後世に残していく努力をしています。江戸時代まで続いていたと古い本に書いてある「こきりこ祭り」も復活し,毎年9月に開催されるようになりました。同じ五箇山の合掌集落が世界遺産の指定を受けたこともあって,訪れる人はたいへん多くなっています。 地元で「こきりこ唄」ともいわれている「こきりこ」は,保存会のある上梨地区だけでなく平村全体で受けつごうとしています。小学校,中学校,高等学校すべてに保存会のメンバーが指導に出向き,子どものころから「こきりこ」を歌ったり踊ったりしていますので,村民全員が踊ることができることも特徴として挙げられるでしょう。 「こきりこ」の由来について 「こきりこ」のはじまりは主なもので2つの説があります。 一つは平家の落人説です。五箇山には,源平の合戦で敗れた平家の落武者が五箇山までにげてきて住むようになったという言い伝えがあります。その彼らが「こきりこ」を伝えたというのです。1183年に富山県と石川県の県境にある倶利伽藍峠の戦いに敗れた平家軍が五箇山に住み着いたとも考えられますし,「波の屋島をのがれ来て」という歌詞が「こきりこ」や同じ五箇山の「麦屋節」にあることから屋島で敗れた平家武士が五箇山まで,のがれてきたとも考えられます。五箇山には平家の落人伝説がいくつもあります。 もう一つは南朝落人説です。南北朝の内乱の時代に,南朝方は全国に皇子を送って失地回復の機会を待っていたそうです。敗れた南朝方の家臣の一人が五箇山にとどまり,南朝の再興を図って山城を築き,南北朝統一後に土豪になったと伝えられています。その子孫が白山宮再建の時に「こきりこ」を奉納したという説です。「こきりこ」は上梨白山宮の祭礼に歌い踊られてきたので,この説のほうが本当ではないかという人も少なくありません。
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御車山囃子 |
御車山囃子は,毎年5月1日に開かれる,高岡市の高岡關野神社の春祭りである「高岡御車山祭」で演奏されるお囃子です。 1588年に豊臣秀吉が,自身の城である聚楽第に,後陽成天皇をむかえ入れるときに使用した御所車を,加賀藩初代藩主の前田利家が秀吉からちょうだいし,二代藩主の前田利長が1609年に高岡城を築くにあたり,町民にあたえられたのが,高岡御車山の始まりと伝えられています。 そして,当時の地元の優れた工芸技術によって,御所車に美しい飾りや彫刻,神が宿るとされる人形などがほどこされ,ごうかではなやかな御車山となりました。今も,祭り当日には7基の御車山が市街をめぐり,ひきそろえられます。 御車山の下部は,7基それぞれに異なる模様が刺繍された,まん幕におおわれており,その幕の中でお囃子が演奏されます。 演奏者は「楽人」と呼ばれ,特定の集落で代々引きつがれています。 楽器は,笛,大太鼓,小太鼓を使用し,御車山によって演奏する曲がちがいますが,曲目は,「越天楽」「青海波」「慶雲楽」「還城楽」など,雅楽からとられています。 昭和29(1954)年には高岡御車山保存会が創立され,今日まで,高岡市の発展とともに人々に長く大切に受けつがれています。 こうした高岡御車山祭の御車山行事は,国の重要有形民俗文化財と無形民俗文化財の両方に指定され,平成28(2016)年には,「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載されました。
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