新潟県: | 鬼太鼓| 佐渡おけさ |
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鬼太鼓 |
新潟県の佐渡島に伝わる鬼太鼓は,その年の豊作や大漁,家内安全や商売繁盛などを祈りながら家々の厄をはらうための神事です。 現在は,100をこえる保存会によって受けつがれており,それぞれの集落に伝わっている踊りの型や登場するものたちは実にさまざまです。中には,鬼役の人たちが早朝から深夜までかけて集落じゅうの家々を回り,最後に集落の中のお社に踊りを奉納するまで交替で踊り続けるところもあります。 各集落で独自のスタイルをもつ鬼太鼓ですが,「相川系」「国仲系」「前浜系」の三つの系統に大きく分けられます。相川系は,ほかの二つに比べて鬼の動きはあまり激しくありません。鬼はほとんど踊らず,その周りを「豆まき」という翁が踊ることがあります。それに対して国仲系は,激しい動きと見ばえのする踊りが特徴です。場所によっては鬼に加えて,獅子が登場することもあります。前浜系は,太鼓のほかに笛が用いられるところに特徴があります。 このように,それぞれの集落に密着したものが,今も受けつがれているという点は,鬼太鼓の大きな魅力でしょう。太鼓のリズムもさまざまですが,鬼が激しく舞いながら太鼓を打ち鳴らす「しだら打ち」と呼ばれる打ち方は,見るものを圧倒する迫力があります。 |
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佐渡おけさ |
全国的に広く知られ,親しまれている民謡「佐渡おけさ」は,北九州の「ハイヤ節」が元になっているといわれています。「ハイヤ節」とは,江戸時代,日本海側の港を結びながら北海道へ物資を運んだ北前船と呼ばれる廻船の船頭たちが,酒盛りの席で歌った船頭歌です。 九州を出発した北前船の船頭たちは,航海の途中に立ち寄った港町での酒盛りの席で「ハイヤ節」を歌い踊りました。こうして,北前船の船頭たちにより物資だけでなく,様々な文化や芸能も各地に伝えられたのです。 佐渡金山で掘り出された金銀の積み出し港として開かれた小木港も,この北前船の寄港地の一つでした。小木に入った「ハイヤ節」は,「小木おけさ」となり,座敷踊りとして十六足の踊りの振り付けもされました。 後に,相川金山の選鉱場での作業歌としてよく歌われ,振り付けに工夫をこらした「相川おけさ」となりました。 大正13年,相川町の民謡保存団体「立浪会」が創設され,翌年には「佐渡おけさ」と命名され,演奏されるようになりました。そして,地元の相川の名歌手,村田文三によるレコード化,山田耕筰による採譜をきっかけにして全国に広まり,海外公演も行われました。哀調を帯びた節と洗練された優雅な踊りは,今や日本の代表的な民謡として知られています。 「おけさ」にまつわる伝説が数多くあります。 例えば, ・桶屋佐助のふいご歌から始まったもの ・盆踊りにうかれた坊主の袈裟にちなんで生まれたもの ・相川に落ちのびた織田信長の娘とその腰元たちが生活の糧をかせぐために歌ったもの ・昔,小木にあった「おきろ節」がなまって「おけさ節」になったもの など,その語源にまつわる伝説は様々です。 そうした伝説の中でも,飼い猫が生活に困った主人の家を救うために「おけさ」という美女に化けて歌ったというものが有名です。 【参考曲】 新潟甚句 出雲崎おけさ 十日町小唄 |
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