沖縄県おきなわけん 安里屋あさとやユンタエイサー 谷茶前たんちゃめ

 


安里屋あさとやユンタ
 この歌は,竹富島たけとみじまで歌いつがれる民謡みんようです。竹富島は,沖縄本島から南西のほうにある八重山列島やえやまれっとうにふくまれる島です。
 「安里屋ユンタ」の歌詞かしには,「安里屋クヤマ」という,とても美しい女性が登場します。18世紀前半に竹富島の安里家に生まれたとつたえられる実在じつざいの人物です。仕事のために竹富島に来た役人が美しいクヤマにプロポーズしますが,それをクヤマがことわったことから始まるエピソードが歌われています。
 「ユンタ」は,共同きょうどう田植たうえなどをするときに歌われた仕事歌の一つで,男女のかけ合いで歌われていました。「安里屋ユンタ」をもとに,三線さんしん伴奏ばんそうけられた「安里屋節」もつくられました。
 また,昭和9(1934)年に石垣島いしがきじまの音楽教師きょうしであった宮良長包みやらちょうほうが作曲し,教員の星克ほしかつ標準語ひょうじゅんご作詞さくしした「安里屋ユンタ」(「新安里屋ユンタ」ともびます)がレコードで発売されたため,全国てきにも知られるようになりました。

 

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エイサー
エイサーは,沖縄県を代表するおどりで,昔から沖縄本島を中心に行われている芸能げいのうです。エイサーが行われるのは,おぼん旧盆きゅうぼん)の期間中が主ですが,学校行事のメインである運動会では一番のり上がりを見せてくれます。それは,小学校ばかりではなく,保育園ほいくえん幼稚園ようちえんをはじめ,中学校,高等学校,大学の学園祭まで会場をわかせてくれます。
沖縄県でエイサーが最もさかんなところは中頭なかがみ(中部)ですが,国頭くにがみ(北部)や,島尻しまじり(南部)でも行われており,学校・地域ちいきが一つになって取り組める芸能・踊りです。

エイサーは,歌・三線さんしん三味線しゃみせん)に合わせてわかい男女がいっしょに踊るのが普通ふつうですが,地域によっては男のみで踊るところ(嘉手納町かでなちょう千原せんばる)があれば,女のみのところ(大宜味村おおぎみそん喜如嘉きじょか)もあります。エイサーは,もともと村の各家庭を一けん一軒たずねて夜通し踊り,お盆の夜を楽しんだものですが,今では,村の道々や広場で早い時間から始まり,夜の11時ころ(ウークイの時間)には終わる習慣しゅうかんに変わってきています。

エイサーの由来は,祖先そせん豊作ほうさく感謝かんしゃし,来年の豊作を祈願きがんするという説,村内の悪い者をパーランクーなどの音ではらい清める目的というところもあり様々ですが,お盆にあの世からやって来たご先祖せんぞ様たちにごちそうをふるまって,供養くようするという信仰しんこうが芸能化したともいわれています。現在げんざいでは新築祝いしんちくいわい結婚披露宴けっこんひろうえんなど,お祝い事で踊ることもあります。

エイサーを踊るときは,パーランクーという太鼓たいこ締太鼓しめだいこ,そして赤太鼓(大太鼓)を使い,伴奏ばんそうに歌・三線で盛り上げ,素手すでう男女がいるのが一般的いっぱんてきです。また,服装ふくそうあざやかなものが多い中,白と黒で質素しっそなものもあります。いずれにしても旧盆の夜に行われるエイサーも,灼熱しゃくねつの太陽,炎天下えんてんかで踊る祭り的なエイサーも,熱くえるものがあり見ている人を引き付け,興奮こうふんさせてくれます。

大きなイベントとして,沖縄全島エイサーまつりがあり,全島各地から青年団が集まり,はなやかな演技えんぎがくり広げられます。2003年で48回目を数えたこのエイサーまつりでは,色とりどりの衣装いしょう勇壮ゆうそうに舞い,観光客の目を楽しませてくれます。
エイサー保存会ほぞんかいとしては,勝連町かつれんちょう(中頭)の平敷屋へしきやエイサーが世界に誇れる民族芸能として2003年には結成20周年の記念祝賀会を行いました。そのほかにも,名護市なごし(国頭)の世冨慶よふけエイサー保存会などがあり,沖縄の伝統でんとう芸能は各地で受けつがれています。

県外においても神奈川県かながわけん兵庫県ひょうごけん大阪府おおさかふなどでも盛んになってきているようです。2003年6月には東大駒場祭で東京大学沖縄県人会の1・2年生がエイサーを初披露したことも新聞で報道ほうどうされております。このようにして,エイサーは沖縄にとどまらず,国内はもちろんのこと外国(ブラジルやボリビアなど)でも多くの人々に愛されるようになり,世界のエイサーになりつつあります。

【注】三線さんしん…沖縄の三味線のこと。
ウークイ…ご先祖様をお送りする(15日)こと。
(ウンケー…ご先祖様をおむかえする(13日)こと。
沖縄のお盆は,旧暦きゅうれきの7月15日(13日〜15日)。)
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谷茶前たんちゃめ

 沖縄には約六千という数多くの曲がありますが,大きく二つに分けることができます。一つは古典音楽,もう一つは民謡みんようです。古典音楽は,曲想が重厚じゅうこう厳粛げんしゅく儀式ぎしき歌の役割やくわりをもっており,琉球王朝りゅうきゅうおうちょう時代に中国からの使者を歓待かんたいするためのうたげでえんじられました。一方,民謡は,庶民しょみんの心が生み出したもので,生活感覚,風俗ふうぞく,伝説,古謡こようなどと深い関係をもち,時代の流れにのって今なお新しい民謡が作り出されています。「谷茶前」は,この民謡にぞくしています。

那覇なはから約40kmの西海岸沿いに続く沖縄一細長い村である恩納村おんなそんは,近年大型リゾートホテルが海岸線にできて,たくさんの観光客を集めています。その恩納村の真ん中あたりに谷茶たんちゃというところがあり,国道58号線の西のおかに民謡「谷茶前」のが建っています。
昔の谷茶は海と山にはさまれた土地で耕地こうちは少なかったのですが,養豚ようとんや漁業がさかんでした。ところが100年ほど前に大火に見まわれ大きな打撃だげきを受けて以来,半農半漁のさびしいところとなっていました。

谷茶前たんちゃめ」は,谷茶の前のはまの漁村風景をスケッチふうにえがいた民謡で,男と女のちがったり付けでおどります。男はカイを持ち,短い芭蕉布ばしょうふの仕事着に前結びの白はちまきで,女はザルを持って琉球絣りゅうきゅうがすりこんのしごき帯をきりっと前にしめ,たがいにもつれて軽快けいかいに踊ります。テンポの速い甘いリズムの歌曲と,健康的で生活感あふれる舞踊ぶようです(現在げんざいは女二人で踊られ,一方が男役を踊ります)。
琉球王府りゅうきゅうおうふ尚敬王しょうけいおう国頭くにがみ巡視じゅんしさい(1726年)に,万座毛まんざもう休憩きゅうけいしたときに芸能げいのうを出して歓待したといわれ,そのとき,谷茶の人たちは「谷茶前」を演じたといわれます。


谷茶前たんちゃめ歌詞かしやく

1 谷茶前ぬ浜に
スルルぐぅあが てぃてぃんどーへー
スルル小が 寄てぃてぃんどーへー
ナンチャ マシマシ
スルル小が 寄てぃてぃんどーへー
ディアングァヤクシク

【訳】
谷茶村の前の浜に
ああ なるほどざわめいている
キビナゴがり集まっているよ
さあ むすめさんそれはよいことだ
急いで 約束の時間だよ

2 スルルぐぅあやあらん
大和やまとぅミジュンどぅ やんてぃんどーへー
大和ミジュンどぅ やんてぃんどーへー
ナンチャ マシマシ
ディアングァヤクシク

【訳】
キビナゴではないよ
大和いわし なんだってよ

3 アッピーやうり取いが
アン小や かみてぃうりういがーへー
アン小や かみてぃうりういがーへー
ナンチャ マシマシ
ディアングァヤクシク

【訳】
お兄さんたちは それを取りに
娘さんたちは 魚を頭上に乗せて
それを売りに

4 うり売てぃむどぅいぬ アン小が
にういぬ しゅらさーへー
アン小が 匂いぬ しゅらさーへ
ナンチャ マシマシ
ディアングァヤクシク

【訳】
魚を売って帰りの 娘さんの
かおりの こうばしいことよ
娘さんの 香りの
香ばしいことよ

※これらとは異なる歌詞もあります。
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