佐賀県: |
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唐津くんち |
唐津の最大の祭りである「唐津くんち」は,唐津市の唐津神社で秋に行われる例大祭です。毎年,11月2~4日に行われます。 「くんち」という言葉の由来には,収穫への感謝の気持ちがこめられている「供日」という言葉がもとになったとする説や,かつて旧暦9月29日が祭日であり,9月の9のつく日を収穫祭とする「くんち」の祭りの一つであるとする説があります。 唐津くんちでは,獅子や兜,鯱や鯛などのユニークな形をした曳山が,「エンヤ」や「ヨイサ」などのかけ声とともに,通りを引き回されます。曳山は,和紙を100枚以上も貼り重ねて型を作り,漆や金箔で仕上げられた巨大な工芸品でもあります。 現在,14の町に所有している曳山が残っており,最も古いものは,江戸時代の後期,1819年に製作されました。新しいものも,明治の初めごろの1876年に製作されたもので,これらの曳山は,佐賀県の重要有形民俗文化財に指定されています。 唐津くんちのお囃子は,三ツ囃子といわれ,太鼓(大太鼓としめ太鼓),鉦,笛で演奏されます。曳山の動く速度や場面に合わせて演奏され,各町の曳山ごとに特徴があります。環境省の「残したい日本の音風景100選」にも選ばれました。 「唐津くんちの曳山行事」は,国の重要無形民俗文化財として指定されているだけでなく,平成28(2016)年には,「山・鉾・屋台行事」の一つとして,ユネスコ無形文化遺産の代表一覧表にも記載されました。 |
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白鬚神社の田楽 |
「白鬚神社の田楽」は,佐賀市久保和泉町川久保にある白鬚神社に奉納される芸能です。毎年10月18日から19日にかけて行われ,子どもが重要な役を演じています。 田楽のための舞台は,白鬚神社の境内に造られます。竹で囲われた5メートル四方ほどのもので,中にはゴザが敷かれます。演じる人たちには,美しく女装をし,びんざさらを持った少年たちによる「ササラツキ」,腰の前に太鼓をつるし,金銀で飾られた木刀を背負った青年たちによる「カケウチ」や,はちまきを締めて,手に造花をつけた棒と扇を持った幼児による「ハナカタメ」,金色の立烏帽子をかぶり,手に小鼓と扇を持った幼児による「スッテンテン」と,大人の笛役がいて,これらの人たちは川久保地区からクジで選ばれます。 この田楽は一部に活発な動きもみられますが,全体的にゆったりとした音楽と動きが特徴です。現在では国の重要無形民俗文化財にも指定されています。 |
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佐賀県民にいちばんしたわれ,歌われている民謡は,「岳の新太郎さん」です。地域の人たちが親しく集まる食事やお酒の席で,声をそろえて楽しく歌われています。 この民謡は,佐賀県の一番南にある多良岳の山すそに伝わる民謡で,江戸時代中期に流行したザンザ節の一つです。ザンザ節というのは,今から200年ほど前に流行した唄で,伊勢神宮の木挽き唄が元になっています。 歌詞は地元に伝わっているものですが,旋律はこのザンザ節を借りています。1955年に,歌手の島倉千代子さんが歌ってレコード化され,全国的にも有名になりました。 「新太郎さん」とは,多良岳の山奥にある,お坊さんが修行するお寺「金泉寺」に仕える,とてもハンサムな若者のことです。その金泉寺は,女人禁制だったので,地元の女の人は登ることができませんでした。 また,地元の多良から多良川に沿った幅広いゆるやかな登り道には,豊かな水を利用した水車があちこちに回っていました。 この民謡の「ザンザ」という囃しことばは,これらの登り道にある水車の水音と,新太郎さんに恋する娘さんたちの心のざわめきを表しているといわれています。 1番と2番の歌詞では,「ハンサムな新太郎さんが,寺の使いで山から下りてくるときは,金属の灯ろうをたくさんともして,夜道を明るくしてあげたい。そして,帰り道には水をまいて,すべってころばせ,恋しい人を少しでも長くとどめておきたい。」という気持ちを表しています。 3番では,「新太郎さんは高い木になっている熟した柿と同じで,むこうから下ってこないかぎり会えない。」と,せつない恋心をみごとに表しています。 |
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