熊本県: |五木の子守歌|牛深ハイヤ節|
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五木の子守歌 |
五木の子守歌は,人吉球磨地方に伝わる子守歌です。しかし,いつ,どこで,だれが歌い始めたものかは分かりません。 今日広く歌われているものは,昭和7(1932)年にまとめられた楽譜集「球磨民謡集」に,「子守唄・五木四浦地方」(田邊隆太郎・採譜)としてのっている旋律のものです。しかし,地元の五木村では,同じ楽譜集にのっている別の旋律「子守唄・五木地方」(佐竹幸一・採譜)が現在も歌いつがれ,「五木の子守唄祭り」などで歌われています。 昔,この地方では,山の暮らしがとても大変で,生活に困った家の子どもは子守りとして,人吉の町や都会などに奉公に出ました。五木の子守歌は,そうした子どもたちが子守りをしながら歌ったもので,70種類もある歌詞は奉公生活のさびしさやつらさを歌ったものがほとんどです。 その歌詞の一部を紹介します。 おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ァおらんと 盆がはよ来りゃ 早よ戻る おどま勧進勧進 あん人達ァ良か人※ よかしゃよか帯 よか着物 ※良か人…身分の高いお金持ちの人 このほか,球磨地方には「球磨の六調子」や「球磨川舟唄」などの民謡も伝わっていて,この「球磨の六調子」を現代ふうにアレンジし,「KUMAKOI六調子」と名付けて,振り付けをした踊りも生まれています。 |
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牛深ハイヤ節 |
牛深ハイヤ節は,熊本県の天草諸島南部にある牛深*という地域で生まれた民謡です。 江戸時代の牛深の港は,海産物などを運ぶ船がたくさん往来して,とてもにぎわっていました。その船乗りたちをもてなすために牛深の女性たちが歌ったものが,牛深ハイヤ節の始まりといわれています。 「ハイヤ」という名は,船を動かすために必要な「南風」を意味する「ハエの風」が由来とされています。 早いテンポと独特のかけ声や節回しが特徴で,出だしの部分は,船乗りが無事に港まで着いたかどうかを心配する牛深の女性の気持ちが歌詞に表れています。 そして,牛深の港に寄った船乗りたちにより,牛深ハイヤ節は日本全国の港へ広まっていき,さらにいろいろなアレンジが加わって,各地域に定着していきました。 その例として,新潟県の民謡である「佐渡おけさ」が挙げられます。 また,伝統芸能として歌いつがれてきた牛深ハイヤ節に踊りを加えた「牛深ハイヤ踊り」は,現在の天草市で毎年4月に開催される「牛深ハイヤ祭り」で見ることができます。 祭りでは,たくさんの漁船が海上を走るパレードなどが行われ,約3,000人の参加者が町中を踊りながら練り歩く「ハイヤ総踊り」には,観光客も飛び入りで参加することができ,町全体が祭りの熱気に包まれます。 *2006年の市町村合併により,現在は天草市の一部になっています。 |
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