福岡県: | |
「祝いめでた」は, 「祝いめでたの 祝いめでたの 祝いめでたにでてくる「アレワイサソ」や「ジョンガネ」などの 博多祇園山笠では,7月15日の「追い山笠」のとき,いちばん始めに |
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黒田節 |
「黒田節」の旋律は,飛鳥時代(西暦600年ごろ)に百済(朝鮮半島にあった国)から伝わった雅楽が元になっています。「越天楽」と同じ仲間ということになります。日本に伝わった雅楽は,宮中で儀式音楽として発展する一方,一般の人々の中に「今様」(その時その土地の今ふうの歌)として広まりました。 筑前(今の福岡県北西部)での「今様」は,その風土を生かした民謡となって歌いつがれるようになりました。 江戸時代,筑前の国を治めていた黒田藩は,藩士(武士)たちから,「今様」の様式による歌詞を募集しました。そして,たくさん寄せられた歌詞の中に「酒は飲め飲め飲むならば……これぞまことの黒田武士」という歌詞がありました。初めは武家民謡(武士の歌)として歌われていましたが,しだいに,筑前の一般の人々も愛唱する民謡「筑前今様」として広まっていきました。 昭和初期,全国にラジオ網が広まったとき,各地方の放送局から,その土地土地の民謡が放送されました。もちろんNHK福岡放送局からは福岡の民謡として親しまれていた「筑前今様」が放送されました。最初はその名のとおり「筑前今様」という曲名で紹介されましたが,全国からの反応はそれほどありませんでした。そこで,歌詞の最後の“黒田武士”をもじり「黒田節」として再び放送したところ,大きな反響がありました。それ以来,「筑前今様」は,福岡を代表する民謡「黒田節」として全国に知れわたるようになりました。 |
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小倉祇園太鼓 |
小倉祇園祭の始まりは,小倉城主の細川忠興により江戸時代に始められた祇園祭にあるといわれています。明治になってからは,太鼓を主体にした祭りへとだんだん変わっていきました。現在では,福岡県北九州市小倉にある八坂神社の夏祭りとしても知られています。 この祭りで使われるのが,全国でもめずらしい両面打ちをする祇園太鼓です。小倉祇園太鼓は,山車の前後に1台ずつ乗せられた2台の太鼓の計4面を使い,4人の奏者が演奏します。直径40センチほどのこの太鼓は,両面で異なる音色となるように皮の張りぐあいを調整してあり,高い調子のほうを「オモテ」や「カン」などと呼び,低い調子のほうを「ウラ」や「ドロ」などと呼びます。「オモテ」と「ウラ」では,音色がちがうだけでなく,その奏法もちがいます。 祭りの見どころの一つは,小倉城大手門前で開かれる太鼓の競演会です。100組以上のチームが参加して,その腕を競い合います。また,太鼓広場では,「無法松の一生」という映画で有名になった太鼓の「あばれ打ち」や「乱れ打ち」などが披露され,祭りはいっそう盛り上がりを見せます。 |
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戸畑祇園囃子 |
「戸畑祇園囃子」は,「戸畑祇園大山笠行事」の山笠(神社の祭礼に使われるお神輿や山車の形をしたもの)が,区内を練り歩くときに演奏される祭り囃子です。 この祭り囃子は,笛,鉦,太鼓,銅拍子*(チャンプク,または合せ鉦とも呼ばれる)で演奏されます。「獅子舞」「居神楽」「大下り」「おおたろう囃子」「大上り」の5種類あり,行事に合わせて演奏します。 戸畑祇園大山笠行事は,北九州市戸畑区内にある飛幡八幡宮,菅原神社,中原八幡宮の夏祭りで,200年をこえる歴史があります。国の重要無形民俗文化財に指定されていて,平成28(2016)年には,ユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載されました。 また,博多祇園山笠や小倉祇園太鼓とともに,福岡県夏の三大祭りの一つとして「提灯山」という呼び方でも広く親しまれています。 このお祭りの大きな特色は,山笠が昼と夜で大きく変わることです。昼は,幟や幕などのかざりをつけた幟山笠で,夜にはかざり物をすべて外して,12段,309個の提灯にいろどられた光のピラミッドへと姿を変えます。この山笠を,約80人の担ぎ手が,鉦や太鼓のお囃子にあわせて「ヨイトサ,ヨイトサ」のかけ声とともに勇ましく担ぎます。 戸畑祇園囃子を受けつぐため,昭和34(1959)年より,毎年7月の戸畑祇園大山笠行事の1週間前に,「戸畑祇園ばやし研究競演会」を開いています。 小学生の子ども山笠による「おおたろう囃子」の演奏が行われ,その後,中学生の小若山笠による演奏,そして最後に,大山笠の囃子方による模範演技が行われています。 *銅拍子は,「どびょうし」とも読みます。 |
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