山口県::歌詞

山口県


男ならの歌詞解説と補足〔かいしゃく〕

【歌詞解説〔かしかいせつ〕

ついていきたや下関〔しものせき〕

 1863年,関門海峡〔かんもんかいきょう〕で長州藩の外国船砲撃〔ほうげき〕に対する報復〔ほうふく〕攻撃を受け,壊滅的〔かいめつてき〕な打撃を受けたことに危機感〔ききかん〕を強めたことによる。そのため,力を合わせて国を守ろうという連帯意識〔れんたいいしき〕が強まった。

神宮皇后〔じんぐうこうごう〕

 仲哀〔ちゅうあい〕天皇の皇后で,伝説上,熊襲〔くまそ〕や新羅征服〔しらぎ
せいふく〕
を行った勇敢〔ゆうかん〕な女性とされる。日本書紀〔にほんしょき〕によれば豊浦宮〔とよらのみや〕(下関市長府〔しものせきし
ちょうふ〕
)を拠点〔きょてん〕に攻略〔こうりゃく〕を行ったと記されており,山口県に深いかかわりをもった人物である。

高杉晋作〔たかすぎ しんさく〕

 幕末〔ばくまつ〕の志士〔しし〕だが,奇兵隊〔きへいたい〕を組織〔そしき〕し,幕府との戦争では下関方面を守り,小倉藩〔こくらはん〕まで攻〔せ〕め込〔こ〕んだ勇士として称賛〔しょうさん〕されている。晋作は,その直後から結核〔けっかく〕に侵〔おか〕され,明治維新〔めいじいしん〕を目前にした1867年に下関で世を去った。

【解説補足〔かいせつほそく〕

「男なら」は幕末から明治維新にかけて県内各地で盛〔さか〕んに歌われたようだが,その後,明治,大正時代には次第に忘〔わす〕れられていった。昭和10年,当時萩市の助役〔じょやく〕であった市川一郎〔いちかわ
いちろう〕
の母タツの記憶〔きおく〕をもとに再現〔さいげん〕し,復活〔ふっかつ〕させたものが今日に伝わっている。第二次大戦後,レコードなどの普及〔ふきゅう〕により県内各地で世代をこえて広く歌われるようになった。

萩・下関地方では縁〔えん〕の深い人名や地名が盛り込まれ,比較的〔ひかくてき〕ポピュラーな民謡〔みんよう〕である。最近の戎谷和修の調査〔ちょうさ〕によると,鹿野〔かの〕・徳地〔とくじ〕地方の高齢者〔こうれいしゃ〕から直接〔ちょくせつ〕〔き〕き取った民謡もあり,県内各地で今も伝承民謡〔でんしょうみんよう〕としての形態〔けいたい〕を残している可能性〔かのうせい〕が立証〔りっしょう〕された。

また,岡田昌大〔おかだ しょうだい〕による合唱用編曲〔がっしょうようへんきょく〕と,吹奏楽〔すいそうがく〕のための作品があり,下関少年少女合唱隊や県内各地の吹奏楽団〔すいそうがくだん〕によって,県内の演奏会〔えんそうかい〕やコンクールなどで取り上げられている。




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