下津井節 |
1 下津井節の由来 下津井節は,現在の岡山県倉敷市下津井の地を中心に,江戸時代から歌いつがれてきた岡山県を代表する民謡です。下津井は,三万二千石のかつての城下町であり,帆船が瀬戸内海を行き来していた時代は,風待ち,潮待ちに都合のよい港として知られていました。 そのため,下津井の港には,朝鮮通信使や西国大名の船,四国の金毘羅へ行く船や北陸・北海道の産物を積んだ北前船などが数多く入港し,取引でにぎわっていました。 下津井節の旋律は,下津井の港を訪れていた北前船によって伝えられたものらしく,瀬戸内海や日本海沿岸などの各地に,いくつか類似した歌を見つけることができます。 その中でも,下津井節は,旋律や歌詞に優れ,早くから日本全国に知られ,広く歌われてきました。 2 下津井節の歌詞について 下津井港は はいりよて出よて まともまきよて まぎりよて これが古くから歌われている下津井節の歌詞です。 「下津井の港は入りよくて出よい。追い風を受けやすく,向かい風も避けやすい」というのが,歌われている歌詞の内容です。昭和4年に,地域の人々の努力で,2番から12番までの歌詞が作られました。 3 歌い続けられている下津井節 第1回の下津井節全国大会が昭和61年に開催されて以来,下津井節を愛する人々の努力で,現在まで大会が続けられています。毎回,県内だけでなく,日本各地から大勢の人々が上位入賞を目指して大会に参加しています。 最近では,下津井節を元にアップテンポにした「とこはい下津井節」が作られ,お祭りや体育祭などで多くの人々に踊られたり歌われたりしています。 |
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備中神楽 |
「備中神楽」は,地元の神様を鎮めて落ち着かせるために行われていた歌や踊りのことです。もともとは神事であり,神官が行っていましたが,江戸時代後期になると,神官で国学者でもあった西林国橋が,古事記や日本書紀の神話を基に,現在まで受け継がれている形の神代神楽として整えました。この神代神楽は,備中地方(岡山県西部)で演じられることから「備中神楽」と呼ばれています。 伴奏には胴丸太鼓のみが使われ,太鼓に合わせていろいろな神様の舞が披露されたり,コミカルなせりふやしぐさで観客を楽しませたりするなど,人々を楽しませる要素をもっています。特に有名なのが「大蛇退治」という場面です。 とても長い歴史をもつ「備中神楽」は,国の重要無形民俗文化財にも指定されています。 |
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