兵庫県
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デカンショ節 |
デカンショ節のルーツは,丹波篠山(今の篠山市)で歌われていた「みつ節」という盆踊り唄です。今日のデカンショ節を思わせるに十分な節回しですが,その囃しことばは,「デッコンショ」「テッコンショ」「ドッコイショ」「ヨーイヤセ」「ヨーイヤナー」「ヨイトマカセ」と,村ごとにちがっていました。 明治31年の夏,篠山藩主ゆかりの青山忠允(子爵)は,郷土の篠山から東京へ遊学していた学生たちを避暑のため引き連れて,千葉県館山にある北条八幡の江戸屋旅館の2階にとまりました。ちょうどそのとき,同じ旅館の1階には,旧制第一高等学校(今の東京大学)の水泳部が合宿していました。 さて,毎晩お酒が入ると2階から野性的な丹波篠山の盆踊り唄が聞こえてきました。素朴な歌詞と節回しに興味を覚えた一高生は交歓会の席でこの唄を教わりました。このとき「デッコンショ」という囃しことばでこの歌を教わった一高生が,学校に帰った後,デカルト,カント,ショーペンハウエルという3人の哲学者の頭文字を取って「デカンショ」に変えたといわれています。 現在は,地元篠山でもデカンショ節保存会が結成されて,毎年夏に行われるデカンショ祭の支え手として活躍しています。 |
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