大阪府 | 河内音頭| 天神ばやし| 催太鼓|
|
河内音頭 |
河内音頭は昔,河内地方と呼ばれていた大阪府東部地域の民謡です。事件,出来事,伝記などの物語を,色々な節(曲)にのせて語っていく芸能です。 毎年,夏に仏を供養する目的で行われる盆踊りのために唄われだしたのが始まりといわれ,およそ600年の歴史があります。 私たちがよく耳にする現代の河内音頭は,明治時代の初期に北河内地方で活動していた「歌亀」という音頭取り(唄い手)が,盆踊り以外の舞台でもできることを目指して新しい唄い方を考案したのがきっかけとなり,時代を追うごとに改良が加えられていきました。昭和30年代以降は,浪曲など他の芸能の手法を応用したり,伴奏にギターやキーボードを導入するなどの工夫がされ,現代感覚に合った躍動的でリズム感のある芸能に成長しました。 河内音頭の特徴について,ふれてみましょう。 河内音頭は「一節」の集合体で,全体を一曲といわず「一席」といいます。一席は原則として,あいさつに当たる「前口上」に始まり,「枕」(前置きの軽い話)から「本題」に進み,終わりのあいさつとしての「結び口上」で終わります。 「一節」は上の句と下の句の2つの部分に分かれ,上の句が終われば「アーイヤコラセー ドッコイセ」(切りのはやし)を,下の句が終われば「ソーラーヨイトコサッサノヨイヤサッサ」(落としのはやし)を,はやし方や踊り子が入れます。「切りのはやし」は,音頭取りが句の終わりに「ヨホホイホイ」の掛け声を付けて要求します。 河内音頭は「正調」と言うものが無く,基本的な約束を守れば多少の変化は許される柔軟さが特徴の芸能であり,浪曲,民謡,演歌などの活用も盛んに行われます。今後も社会の変化に応じて,少しずつ姿を変えて発展していくことが考えられます。 河内音頭の踊りは,ゆったりとして流れるような「流し踊り」と,活発で躍動的な「マメカチ踊り」という2種類の基本形があります。近年は手さばき,足さばきに工夫をこらし,変化を楽しむ人が増えています。 |
![]() |
トップへ |
天神ばやし |
京阪神の梅雨は例年7月中旬に明けます。ですから,7月24日と25日に催される天神祭のころは,厳しい日ざしが降り注ぐ夏の真っ盛りです。その暑さに負けまいと,エネルギッシュな祭りがくり広げられます。それを楽しもうと集まるのは100万を超える人また人。天神祭はいやおうなく盛り上がるのです。 天神祭は,大阪市北区にある大阪天満宮が催主となって営まれる祭りです。そして「天神ばやし」は,その祭りに欠かすことのできない,祭りのエネルギーを燃え立たせる音楽です。「天神祭囃子」あるいは「地車囃子」とも呼ばれます。 鋲打ち太鼓と小太鼓はばちで演奏し,二丁鉦と呼ばれる二つの双鉦は撞木で演奏します。撞木とは,鐘や鉦などを打ち鳴らす棒のことで,竹の柄に鹿の角をT字形に取り付けたものです。「天神ばやし」は四人一組となって激しく打ち鳴らすもので,天神祭の象徴ともなっています。 演奏するのはプロフェッショナルと考えてよい専門家集団です。彼らは,小さなころから囃子の筋書きともいうべき流れの組み立てと,それぞれのところに応じたリズムパターンを身につけていて,その時その場の状況に応じて,適切なリズムパターンを選びながらみごとな囃子を奏でていきます。 江戸時代には80台以上あったとされている地車ですが,現在残されているのは1台きりです。そのため,祭りの多くの時間,天満宮の境内にすえ置かれていて,「天神ばやし」は「龍踊り」という踊りとともに,その地車の上で演奏されます。 |
![]() |
トップへ |
催太鼓 |
催太鼓は,大阪の夏祭りである天神祭に欠かせないもので,祭りの準備が整ったことを知らせる先触れの役割を担っています。 太鼓の打ち手は,太鼓をはさんで両側に3人ずつの6人一組です。打ち手は「願人」と呼ばれ,投げ頭巾(赤い布でつくられた長いぼうしのような頭巾)をかぶっています。太鼓は,舁ぎ方と呼ばれる人たちによって担がれ,この舁ぎ方を3以上経験しなければ,打ち手である願人になれません。 催太鼓の見どころは,「唐臼」と呼ばれる太鼓の打ち方です。太鼓を乗せている太鼓台の下に丸太を置き,その丸太を軸として太鼓台をシーソーのようにゆらしながら太鼓を打つというものです。唐臼には,横にゆれる「横唐臼」と縦にゆれる「縦唐臼」があり,願人はふり落とされないようにしながらも,勇ましく太鼓を打ち鳴らします。この独特な奏法は,平成3年に大阪府の無形民俗文化財に指定されました。 |
![]() |
トップへ |