京都府 |祇園囃子|
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祇園囃子 |
京都の夏の最大の行事であり,日本の代表的なお祭りでもある「祇園祭」は,今から約1100年の昔に京の都で流行した伝染病を退治するために始められました。その祇園祭の鉾・曳き山と呼ばれる屋台の上で囃すのが祇園囃子です。 現在,鉾・曳き山10基と舁き山22基が7月17日に巡行していますが,その中でも毎年先頭を進む長刀鉾(なぎなたほこ)は特に人間のお稚児さん(10歳前後の男児)が鉾に乗り,「稚児舞」を舞って,しめ縄切りをする伝統を守っています(ほかの鉾は人形のお稚児さんです)。 祇園囃子は12の山・鉾で演奏しています。楽器は鉦・締め太鼓・能の笛の3種類で同じですが,伝わっている曲目は全てちがいます。 長刀鉾では,朝日・青葉・獅子・扇・九段・巴・四季・緑など約30数曲を演奏していますがその中でも地囃子・神楽・唐子は非常にゆっくりしたテンポで八坂神社へ向かって巡行の時に囃す曲で特に重要とされています。囃子をする囃子方(長刀鉾は男性のみ)は10歳ごろから囃子の練習を始めますが,最初は鉦を,そして10年たちますと笛方か太鼓方のどちらかへ進みます。現在,10歳から70歳代の80数人が祇園囃子を後世へ伝えることに努力しています。毎月1回集まって練習していますが,7月1日から約1週間,毎夜「二階囃子」として町会所の二階で窓を開け,提灯を提げて練習し,お祭り気分を盛り上げます。 そして7月12日,鉾の組み立てが完成したとき「曳き初め」として鉾の上で囃子をしながら本番同様に試運転をし,その翌日の夜からは,前後に多数の提灯をつるした鉾に乗ってお囃子をします。 長刀鉾の中は約4畳半くらいの広さで,進行方向に向かって右側の縁に鉦方8名が,左側に笛方8名が腰をかけ,中央で太鼓方2名が向かい合って囃子を演奏します。16日は宵山といい,夕方から夜遅くまで祇園囃子が流れてお祭りのクライマックスをむかえます。17日は早朝から巡行の準備をし,午前9時に先頭の長刀鉾が出発して祇園祭山鉾巡行が始まりす。祇園囃子を奏で,ゆったりとゆれながら貴重な美術工芸品でかざられた山や鉾が進む様子はすばらしいものです。 |
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福知山音頭は, 毎年8月には「福知山ドッコイセまつり」が行われます。 「福知山音頭と
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宮津節 |
宮津節は,京都府の北部,丹後地方にある宮津市に古くから伝わる民謡です。宮津は,江戸時代には北前船が寄港する日本海有数の港町として栄え,北は松前,酒田,西は九州,四国,大阪方面からの出船入船により,大いににぎわいました。宮津に立ち寄った船乗りたちは,旅のつかれを忘れるために,お酒を飲んだり,かけ事などをして楽しいときを過ごしましたが,つい調子に乗り過ぎて,持っていたお金を全部使ってしまい,財布が空になる人がたくさんいたそうです。そんな宮津での楽しい出来事が「二度といこまい丹後の宮津,縞の財布が空となる…」という歌詞の宮津節として,船乗りたちによって海から海へと広まり,全国に伝わっていったといわれています。 「ピンと出した」という囃子ことばは,宮津節以前から,江戸をはじめとする各地の流行歌に使われていたようで,語源については,「ピンからキリまで」のピンや「べっぴん」のピン,また「三味線の音」や「お金」のことなど,いろいろと言い伝えられています。 また,「天橋立日本一よ…」という歌詞にあるように,宮津市には,江戸時代から宮城県の松島,広島県の宮島とともに日本三景といわれる「天橋立」があり,その美しい景観も宮津節によって全国の人々に紹介されました。天橋立は,その自然がつくった景観のすばらしさから,国の特別名勝に指定されており,全国から多くの観光客を集めています。 宮津節は,盆踊りとしても市民に広く親しまれており,今も夏に行われる「市民総おどり大会」では子どもから大人まで楽しく踊っています。
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