三重県みえけん 石取祭囃子いしどりまつりばやし伊勢音頭いせおんど| 桑名くわな殿とのさん|(すず)鹿()馬子(まご)(うた) 

 


石取祭囃子いしどりまつりばやし
桑名石取祭くわないしどりまつり」は,8月の第一土,日曜日に,桑名市くわなしにある春日神社かすがじんじゃを中心に行われる行事です。「石取祭」は,神社に奉納ほうのうするために町屋川(員弁川いなべがわ)で石を拾い集める「石取り」とばれる行事がもとになったとされています。
 石を新しいたわらに入れ,小さな車に乗せてかね太鼓たいこを打ち鳴らしながら,夜になると,ちょうちんをつけて神社に奉納したそうです。
 この小さな車が,今に伝わる祭車さいしゃの始まりです。現在は,より大きく美しくなっており,40数台の祭車が祭りをいろどります。
 祭車の後部には,長胴太鼓ながどうだいこが1つかれ,4~6の大きなかねがつるされています。
 石取囃子いしどりばやしは,これらの楽器がっきをリズムに合わせて打ち鳴らします。リズムや打ち方は各町や地域ちいきによってちがいますが,ビンロージと木製もくせいのトンカチじょうのものを使用して鉦を打つため,とても大きな音で演奏されるお囃子としても有名です。
 平成へいせい28(2016)年,「桑名石取祭の祭車さいしゃ行事」として,ユネスコ無形文化遺産むけいぶんかいさん代表一覧表だいひょういちらんひょう記載きさいされました。
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伊勢音頭いせおんど
 三重県みえけんにある伊勢神宮いせじんぐうは,参拝さんぱいのために全国から船や徒歩とほで多くの人が集まったため,昔からたいへんにぎわっていました。その人たちが,伊勢に宿泊しゅくはくしたときに歌いおぼえたものを,自分たちの故郷こきょうもどってからも歌ったために,「伊勢音頭」とばれる歌は,いろいろなかたちで全国に広まっていったといいます。
また,伊勢音頭の起源きげんについてもいろいろなせつがありますが,その中の一つとして,伊勢神宮の建物たてものをつくるための木材もくざいを運ぶ仕事(「御木曳おきひき」)をするときに歌われた木遣きやり歌がもとになっているというものがあります。木遣り歌とは,御木曳のときなどに音頭おんどを取りながら歌う仕事歌の一つです。伊勢の木遣り歌には「ヤートコセ」というはやしことばがあり,その言葉が伊勢音頭の中にもふくまれていることがその理由です。
現在げんざいつたわっている歌にしても,その起源にしても,「伊勢音頭」にまつわるものは多々ありますが,三重県を代表する民謡みんようであることにちがいはありません。
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桑名くわな殿とのさん
 「桑名の殿さん」という民謡みんようは,「クワナのトノさん,シグレでチャちゃづけ」とうたいます。桑名くわなのお殿とのさまのようにぜいたくをしている人が,ハマグリの佃煮つくだにのお茶づけを食べてほっとする,という意味です。

昔の東海道とうかいどうは,名古屋なごやから桑名くわなまで海を30kmほどわたらなければなりませんでした。その間には,大きな3つの川がよりそうように流れていて,昭和の初めになるまで橋がなかったからです。少しでも波が高くなると船は出すことができなかったため,昔の桑名には,船を利用する人や荷物のためのお店がたくさんあって,とてもにぎわっていました。
また,桑名の近くの海の中は,たくさんのハマグリでとてもにぎわっていました。3本の川が,貝の住みやすい砂を運んで来てくれたからです。特に味のよくなる秋から冬のハマグリは,佃煮も作られていました。このハマグリの佃煮がとてもおいしいので,俳句はいくで有名な松尾芭蕉まつお ばしょうの弟子が,佃煮を作る季節に合わせて「時雨しぐれ」と名前をつけたそうです。

この桑名から東海道をはなれて三重県をずっと南へ行くと,昔から全国の人が一度はお参りを夢みた伊勢神宮いせじんぐうがあります。伊勢神宮へのお参りを終えた人々は,おみやげの一つとして「ヤートコセーヨーイヤナ,アリャリャ」という掛け声かけごえの入った唄を覚えてきました。この掛け声は,伊勢神宮を建てかえるときの木材を運ぶときに唄う「御木曳木遣り唄おきひき きやりうた」から生まれたものです。この掛け声のある唄の中でも,「伊勢はでもつ〜」という唄は「伊勢音頭いせおんど」として全国に広がって,各地で「祝い唄いわいうた」や「盆踊り唄ぼんおどりうた」になりました。
「桑名の殿さん」にも,同じようなかけ声が入っていますので,もとは「御木曳木遣り唄」であったと考えられています。さらに全国のあちこちの海辺にある「○○の殿さん,○○で茶ちゃづけ」というかえ唄にも,ちゃんと同じ掛け声が入っています。

【参考曲】 
道中伊勢音頭どうちゅういせおんど
鈴鹿馬子唄すずかまごうた
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(すず)鹿()馬子(まご)(うた)

 三重(みえ)(けん)滋賀(しが)(けん)(さかい)にある鈴鹿(とうげ)をこえる道は,平安時代には「阿須波(あすは)(みち)」と()ばれ,古くから(じゅう)(よう)な道でした。江戸(えど)時代には,東海道(とうかいどう)として(せい)()され,参勤交代(さんきんこうたい)を行う大名やお伊勢(いせ)(まい)りや(こん)毘羅(ぴら)参りの旅人などが通る道として使われたそうです。
三重県側の坂下(さかした)宿(じゅく)から鈴鹿峠に向かう道は「八町二十七(まが)り」と呼ばれた急な曲がり道が続く山道でもあり,江戸時代には(はこ)()峠に次ぐ東海道の難所(なんしょ)として知られていました。
「鈴鹿馬子歌」は,この厳しい鈴鹿峠を行き来し,馬に荷物や人を乗せて運んでいた馬子とよばれる人たちが歌ったものがもとになったといわれています。追分節(おいわけぶし)といわれる(はく)のない自由なリズムで歌わるものでした。
鉄道の(たん)(じょう)などにより馬子が姿(すがた)を消すとともに,この歌も歌われなくなっていきますが,昭和30年代に,多田夏代さんという民謡(みんよう)の歌い手が,鈴鹿峠のお茶屋さんの女将(おかみ)(おぼ)えていた歌を受けついで,今の「鈴鹿馬子歌」の形に整えました。

歌詞(かし)の一部を(しょう)(かい)します。
 〽坂は()る照る
  鈴鹿は(くも)
  あいの土山(つちやま) 雨が()

歌詞にある「坂」は鈴鹿峠の三重県側にあった坂下宿,「土山」は滋賀県側にあった土山宿のことです。坂下宿では太陽が照っているのに,鈴鹿峠では曇ってきて,峠を越えたあとの土山宿では雨が降っている,というように,鈴鹿峠を境にして天気が変わりやすかった様子がうたわれています。

土山宿がある滋賀県(こう)()市では,今も毎年6月に「鈴鹿馬子(うた)全国大会」が開かれています。

※坂下宿や土山宿の「宿」は,「しゅく」と読んだり言ったりすることがあります。
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