静岡県しずおかけん | ちゃっきり節ちゃっきりぶし| 西浦田楽にしうれでんがく|

 


ちゃっきり節ちゃっきりぶし

ちゃっきり節は,みなさんの生まれるずっと前,昭和2年(1927年),今の静岡鉄道(新清水,新静岡間を走っている電車です)の社長さんが,電車の停留所ていりゅうじょになっている狐ヶ崎遊園地きつねがさきゆうえんちと,静岡鉄道の宣伝せんでんのために,お座敷ざしきで歌えるような民謡を作ってもらおうと考え,日本の詩人,歌人として有名な北原白秋きたはらはくしゅう先生に歌詞かしを作ってもらうようお願いしました。ところが白秋先生は,静岡へ来てもいっこうに歌を作ってくれませんでした。いろいろなお店へ行っては,お酒を飲んだり,そこのお店の芸者げいしゃさんと話ばかりしているのです。
会社でも困っていましたが,ある日,ふとあるお店で白秋先生がお酒を飲んでいたところ,年老いた芸者さんが,戸を開けて外の空を見上げながら,「きゃーる(かえる)が鳴くんて雨ずらよ」とつぶやきました。そのとたん,それを耳にした白秋先生は「よーし,できた!」と,思わずひざをたたき,早速カバンを取りよせ,ノートにすらすらと歌詞を書き上げたそうです。きっと白秋先生は,静岡地方の方言産物習慣しゅうかんなどをいっしょうけんめいに集めていたのでしょう。
そして,次の年,町田佳聲まちだかしょう(本名,嘉章)さんによって作曲され,できあがったのが,新民謡しんみんようの「ちゃっきり節」です。
清水しみず侠客きょうきゃく次郎長じろちょうが出てきたり,松尾芭蕉まつおばしょうの有名な俳句はいく駿河路するがじや 花たちばなも 茶のにほ」が取り入れられたり,茶切りばさみのリズムがお囃子おはやしの言葉として取り入れられたりしています。また,昭和初期の静岡国体しずおかこくたいや,アジア大会などにもこの曲が取り上げられて人気が出ました。

最後に,歌詞の一部を紹介しょうかいします。

1 うたはちゃっきり節 男は次郎長 花はたちばな
夏はたちばな 茶のかお
ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ きゃーるが鳴くんて雨ずらよ

2 茶山茶どころ 茶はえんどころ 姉ねねえね行かずか
やあれ行かずか お茶つみに
ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ きゃーるが鳴くんて雨ずらよ

3 さあさ行こ行こ 茶山の原に 日本平にほんだいら
山のたいらの お茶つみに
ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ きゃーるが鳴くんて雨ずらよ

(4番以下略)
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西浦田楽にしうれでんがく

「西浦田楽」は,浜松市はままつし天竜区てんりゅうく水窪町みさくぼちょう西浦にある観音堂かんのんどう境内けいだいで,旧暦きゅうれきの1月18日からよく19日の朝にかけて夜通しえんじられる田楽です。豊作ほうさく健康けんこうなどをおいのりします。
719年,そう行基ぎょうきがこの地に立ちったときに,聖観音しょうかんのん仏像ぶつぞうと24面の仮面かめんを作りました。その年から西浦田楽が始まったといわれています。演目には,観音堂と高さ5メートルの大松明だいたいまつとの間にられた2本のつなの上を,人形を乗せた小さな船が観音堂の灯火とうかを運んで大松明に点火する「御船渡しおふなわたし」や1年の耕作こうさく過程かてい表現ひょうげんした田遊びなどがあります。楽器は主に太鼓たいこ,横笛,びんざさらなどが使われているほか,「天狗寄せてんぐよせ」の儀式ぎしきでは,ほら貝吹きほらがいふきを見ることもできます。
この神事には,かぎられた21人の男子のみ参加さんかすることができます。それぞれの家には役割やくわりが決められていて,その家の男子によって代々引きがれているため,おどられるまい非常ひじょう洗練せんれんされたものになっています。また,国の重要無形民俗文化財じゅうようむけいみんぞくぶんかざいにも指定されています。
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