石川県いしかわけん 尾口おぐちのでくまわし御陣乗太鼓ごじんじょうだいこ山中節やまなかぶし

 


尾口おぐちのでくまわし
 尾口のでくまわしは,白山市はくさんし深瀬新町ふかぜしんまち*と東二口ひがしふたくちの2地区に伝わる人形にんぎょう芝居しばいで,現地では「文弥ぶんや人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり」ともばれます。
 江戸えど時代中期につたわり,農作業がいそがしくない雪深い冬の休み日に上演じょうえんされ,現在げんざいも,2月中旬の週末に2地区でそれぞれえんじられています。
 長さ約5.4メートル,高さ約1.4メートルのこしまくった舞台ぶたいで,文弥ぶんやぶしといわれる太夫たゆうの語りに合わせて人形を動かします。木で作られた人形(=でく)の衣装いしょうすそから手を入れて一人で人形をあやつり(「一人遣ひとりづかい」と言います),人形と一体化する熱演ねつえんはとても見事みごとで,国の重要じゅうよう無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざいに指定されています。

*旧尾口村深瀬地区に住んでいた人たちは,ダムの建設けんせつのために深瀬新町へ移住いじゅうしました。

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御陣乗太鼓ごじんじょうだいこ
 「御陣乗太鼓」は,石川県輪島市わじましで毎年夏に行われる「名舟大祭なふねたいさい」のときにえんじられる,太鼓打ち芸たいこうちげいです。名前にある「御陣乗」は,奥能登おくのと地方で神輿みこしの進行を指す「ゴジンジョ(御神事)」からきているといいます。
その始まりは,戦国時代せんごくじだい上杉謙信うえすぎけんしんが能登をめ落とそうとしたときまでさかのぼります。その地方に住んでいた名舟の村人たちは武器ぶきを持っていませんでしたが,知恵ちえをしぼって作戦さくせんを立て,みごとに上杉軍を追いはらったといいます。その作戦とは,顔に木の皮で作ったおに幽霊ゆうれいの面を着け,かみの毛には海藻かいそうけた姿すがたで,陣太鼓じんだいこを打ち鳴らしながらおそいかかるというものでした。これには上杉軍もたいへんおどろき,げ帰ってしまったといいます。村人たちはこの勝ちいくさを,名舟沖なふねおきの島(舳倉島へぐらじま)にある奥津姫神社おきつひめじんじゃの神様のおかげと感謝かんしゃしました。そうして奥津姫神社の大祭では,面を着けて太鼓を鳴らし,神輿の進行で行列の先頭に立つようになったそうです。これが発展はってんし,現在げんざいの御陣乗太鼓になりました。

御陣乗太鼓では,「爺面じいめん」「デカ面」「夜叉面やしゃめん」「ダルマ面」「男幽霊おとこゆうれい」「女幽霊おんなゆうれい」の面をかぶった6人が,「おそいテンポ→やや速いテンポ→速いテンポ」で太鼓を打ち鳴らしていきます。これを1つのサイクルとして,それを何度もり返します。演奏者えんそうしゃは,あやしい形をした面に合った身振みぶりや動作をするなど,独特どくとくの芸を交えながら演奏して,く人を楽しませます。
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山中節やまなかぶし
 はぁ 忘れしゃんすな 山中道やまなかみち
東ゃ松山 西ゃ薬師やくし
はぁ 山がたこうて 山中見えぬ
山中こいしや 山にく
はぁ 谷にゃ水音 みねにはあらし
あいの山中 湯のにおい
はぁ 山があこなる の葉が落ちる
やがて船頭衆せんどうしゅうがござるやら

山中節にはまだまだ歌詞かしがあり,平成の今の時代にも新しく歌詞が作られているそうです。ここに紹介しょうかいした歌詞の中には山中町の様子が見えてきます。自然に囲まれた地形や温泉おんせん,山中にだれがたずねてくるのだろうといったことまで,きちんと歌われています。
山中節は,その昔,船頭として北海道に出稼ぎでかせぎに行っていた人々が,出稼ぎ先で習い覚えた「松前追分まつまえおいわけ」を歌ったことが始まりといわれています。1年の仕事を終えて,何日も故郷こきょうの温泉で過ごす船頭衆せんどうしゅう自慢じまんののどで歌うのを,旅館で働く人や山中町の人がききほれてまねをし,それが山中に合った歌に生まれ変わり,育っていきました。
山中節は,温泉民謡みんようとして数百年も大切に歌いつがれています。今日では,毎年9月の第1日曜日に全国コンクールも開かれ,小学生から大人まで,多くの愛好者あいこうしゃたちが自慢ののどを競います。

次は,山中節の歌い方のワンポイントレッスンです。みなさんは,一日のつかれた体を湯船に入れて,思わず「はぁ〜」と幸せな声を出している大人と出会ったことはありませんか?そのときの「はぁ〜」が山中節の歌い始めの声なのです。春・夏・秋・冬と季節ごとにすばらしい自然の景色を見せてくれる「鶴仙渓かくせんけい」や,その当時は大聖寺川だいしょうじがわにかかる一番上流の橋だった「こおろぎ橋」など,自由に想像そうぞうしてみてください。決して力まずに歌いましょう。きっと,のびのあるいい声になり,山中節の雰囲気ふんいきに乗ることができるでしょう。そして「細棹ほそざお」といわれる三味線しゃみせんが,単調でゆったりとしたリズムをくり返しながら,歌う人の声の調子に合わせて伴奏ばんそうをしてくれます。

最後に,山中温泉の歴史についてふれてみましょう。今から1300年くらい前のお話です。北陸を行脚あんぎゃ中に,江沼国菅生神社えぬまのくに すごうじんじゃ参拝さんぱいしたそう行基ぎょうきがむらさき色の雲にかがやく辰巳たつみの方角をたずね,そこで出会った老僧に教えられ温泉を発見しました。その後再び,行基のゆめに現れた老僧は,自分が薬師如来やくしにょらいであることを告げ,温泉が霊泉れいせんで体にたいへん良いことを告げました。そこで行基は,この土地に国分寺こくぶんじを建てて,自分でほった薬師如来のぞうおさめました。しかし,兵乱へいらんのために温泉は,あれてしまいます。
1185年ごろの文治ぶんじ年間に,能登のと地頭じとう長谷部信連はせべ のぶつらきずついた足を温泉につけている一羽の白さぎの姿すがたから温泉を発見し,さらに薬師如来の像を見つけました。そして,そこに国分山医王寺こくぶんざんいおうじを建ててその像を祭り,湯元ゆもとに12けん湯舎ゆしゃいとなみ始めました。後の時代に,温泉を復興ふっこうさせた偉大いだいな人,長谷部信連をたたえて,湯元の近くに長谷部神社はせべじんじゃができました。

1300年もの昔がどんなふうだったか,実際はだれも分かりませんが,こうしたお話が伝えられています。山中温泉も毎日こんこんとわいています。江戸時代えどじだい前期には,松尾芭蕉まつお ばしょうが旅の途中とちゅう,弟子といっしょに山中温泉をおとずれ,山中での思いをいくつもの俳句はいくにしました。今までに,この山中温泉に来たどんなにか多くの人が,温泉につかり,山中節を聞いて,歌い,おどり,町の人たちと交流したことでしょう。みなさんも想像をふくらませてみましょう。
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