相模里神楽 |
相模とは,昔の神奈川県の辺りの呼び方です。相模里神楽は,神奈川県のほぼ中央にある厚木市で活動している垣澤社中という団体が受けついでいます。100年以上の歴史があり,昭和46年には厚木市の無形民俗文化財に指定されています。
神楽とは,もともとは神様が来てくれることを願って行う儀式で,歌や舞をともなった芸能です。大きく2つに分けて考えることができ,天皇の住まいである宮中に伝わる「御神楽」と,日本各地にある神社に伝わる「里神楽」とがあります。
里神楽は,それぞれの地域の神社で,祭礼に奉納するために行われていて,地域ごとに特色があります。そうした神楽は,神主や氏子,地域の保存会などによって受けつがれたり,垣澤社中のように世襲制の家元という仕組みによって親から子へと受けつがれたりすることがあります。
垣澤社中では,神代神楽といわれる,日本の古い神話をテーマにした内容で,面や衣装をつけて,セリフがない無言の劇のかたちで行われる演目のほかに,面芝居といって,歌舞伎などからヒントをもらい,面をつけてせりふがある演目も行っています。
笛やたいこなどによる囃子の演奏で,場面の様子や登場人物の気持ちなどを盛り立てます。
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チャッキラコ |
チャッキラコは,毎年1月15日に三浦市の三崎港の近くにある海南神社で,豊漁,豊作や商売繁盛などを祈願するために奉納される踊りです。
12歳までの女の子20名ほどが,正月の晴れ着を着て,大人の女性の唄や囃子詞に合わせて踊ります。
「はついせ」「チャッキラコ」「二本踊り」「よささ節」「鎌倉節」「お伊勢参り」の6つの演目があり,扇やチャッキラコ(竹に鈴やかざりを付けたもの)を使い分けて舞を踊ります。
国の重要無形文化財に指定され,平成21(2009)年にはユネスコの無形文化遺産の代表一覧表に記載されました。
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箱根馬子唄 |
「箱根馬子唄」は,箱根街道で人や荷物を乗せた馬を引く仕事をする馬子たちが歌っていたものです。昔の箱根は,江戸と京都を結ぶ東海道の中でも,特に交通の難所として知られていたところです。滝 廉太郎が作曲した「箱根八里」という歌の歌詞からも,その様子はたいへんよく伝わってきます。 その当時,徳川幕府は江戸の治安を守るため,東海道などの街道に関所を設けて通行人を取り調べたり,簡単に川を渡れないようにするため,わざと橋をかけなかったりしました。 関所では,手形といわれる許可書をもっていないと通ることができず,もし関所を通らずわき道などからこっそり通りぬけたことが分かると,「関所破り」として厳しい処罰を受けました。 また,静岡県の中南部を流れる大井川などの川には,橋がかけられていなかったため,人々は川を渡らせることを仕事とする人たちの担ぐ台か肩車に乗って川を渡っていました。そのため,大雨などで川の水かさが増すと,渡ることができませんでした。 「箱根馬子唄」は,こうした難所の多い環境や厳しい時代背景と,馬子たちが長い距離を移動する間に通ったいろいろな地域の歌などから影響を受けて,現在のような民謡として整っていったようです。
歌詞について,簡単に調べてみましょう。
箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ大井川
箱根御番所に 矢倉沢(新居が)なけりゃ 連れて逃げましょ お江戸まで
三島照る照る 小田原曇る 間の関所は雨が降る
…以下,省略…
1番目の歌詞にある「八里」は,小田原(宿)から三島(宿)までの距離のことで,およそ32kmになります。この中間に,箱根の関所がありました。 箱根の難所を馬で越えることができても,大井川を越えて行くのはとてもたいへんだということが伝わってきます。
2番目の歌詞の「御番所」とは「関所」のことです。関所のある箱根や矢倉沢,新居の存在は,旅人や通行人にとって,とてもこわいものでした。新居というのは現在の浜名湖南西の辺りで,新居関という関所がありました。
3番目は,三島では天気が良くても,小田原では曇っている。その間にある箱根の関所の辺りでは雨が降っているという歌詞ですが,関所でつらい思いをした人たちの悲しみを雨にたとえているようにも読むことができます。
現在の箱根は,富士箱根伊豆国立公園の中心で,温泉やすばらしい景色があります。また,西部にある芦ノ湖のほとりには,旧東海道の石畳や杉並木が保存されていたり,復元された関所などもあることから,多くの観光客が訪れています。
【参考曲】 箱根駕籠かき歌
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