佐原囃子 |
「佐原囃子」は,毎年夏から秋にかけて千葉県香取市で行われる「佐原の大祭」というお祭りで演奏される祭囃子です。また,このお祭りは国の重要無形民俗文化財に指定されています。 現在の香取市に位置する佐原の町は,江戸時代には船による米や酒の交易によって栄えました。当時の米問屋や酒問屋の職人たちが稲の収穫を祝って,荷車にその年に初めて実った稲の穂を立て,神へお供え物を運んだのが,このお祭りの始まりといわれています。お祭りでは10〜15台の山車が佐原囃子に合わせて町を練り歩きます。 山車には彫刻が施されていて,その上には神武天皇をはじめとして,菅原道真や太田道灌などをイメージした大きな人形や,わらでつくったこいやたかが飾られています。また,夜になるとちょうちんやぼんぼりがともり,華やかさが加わります。 山車が町内を巡るときに演奏される佐原囃子は,田楽や散楽(猿楽),神楽囃子が元になっていて,江戸文化の影響を受けながら発展しました。演奏者である囃子方を「下座連(芸座連)」と呼び,笛,大鼓,小鼓,大太鼓,小太鼓,鉦の楽器が使われます。現在では数十曲以上の曲目があり,大きく「段物」「役物」「端物」の3つに分けられます。山車の出発の準備ができると「役物」を演奏し,移動中や停止中は「段物」や「端物」などを自由に演奏します。他の地域の祭囃子はリズムが中心であることが多いですが,佐原囃子は味わいのある旋律が特徴的です。 |
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大漁節は,日本全国の沿岸各地で大漁のとき歌われる民謡で,「大漁歌」ともいわれます。大漁のときの祝宴で歌われる場合と,新年の祝宴や不漁続きのときに大漁を祈願して前祝いに歌われる場合があります。最も代表的なのが,千葉県銚子市の民謡「銚子大漁節」です。 江戸時代から銚子は漁港として知られ,南の九十九里にかけての沿岸では,地曳網も盛んでした。1864年(元治元年)に,いわしが今までになかったくらいの大漁で銚子港は足のふみ場もないほどのいわしでうまってしまいました。その大漁を祝うために,漁師たちは万祝衣を着て,川口明神でお祭りすることになりました。そこで,網元の網代久三郎と,銚子の旧家の松本旭光と俳諧師石毛利兵衛の3人が松本家の離れ座敷「夏蔭庵」に集まって歌詞を合作しました。それから常磐津の師匠遊蝶が作曲をし,清元の師匠きん子が踊りのふり付けをして,銚子川口明神に奉納したのが,この歌の始まりです。男性的な景気のよい歌で,明治・大正時代には全国的に流行しました。 【参考曲】 銚子はね太鼓 銚子音頭 大漁節の歌詞と解釈 一つとせ 一番ずつに積み立てて 川口押し込む 大矢声 この大漁船 【注】 一番ずつ…各船とも一回ずつ 積み立てる…積み込む 押す…櫓をこいで船を押す 大矢声…弓矢の矢を射るときに出るうなり声のようなかけ声 【解釈】 各船とも網をはることが,たった1回で鰯がたくさんとれる。その鰯を船に積み込んで,ホーリャ ホーリャとまるで弓矢を射るうなり声と同じようなかけ声をかけて川口港めざし,櫓をこいでいる。そのような船が何隻も何隻も,次から次へと川口港へ入ってくる。 二つとせ ふたまの沖から外川まで つづいて より来る大いわし この大漁船 【注】 ふたまの沖…夫婦が鼻から黒生までの海の総称 より来る…魚が集まってくる 【解釈】 川口港から外川港の沖までたくさんの魚群がおしよせてきた。その群れは大きな鰯である。銚子半島を鰯が包んでしまうくらい,鰯の群がたくさん押し寄せてきたということである。 三つとせ 皆一同にまねをあげ 通わせ船の にぎやかさ この大漁船 【注】 まね…いわしの大漁を知らせるための目印 通わせ船…いわしの運搬船 【解釈】 どの船もみないっせいに,それぞれのまねをあげている。そこを通わせ船が港との間を行ったり来たりして鰯を運んでいる。それがとても景気よくにぎやかである。 四つとせ 夜昼焚いても焚き余る 三杯いっちょの 大いわし この大漁船 【注】 焚く…生鰯を煮る 三杯いっちょ…いろいろな説がある 【解釈】 夜昼,鰯を煮ても,煮余るほどたくさんの鰯がとれた。その鰯はやっさ篭3杯で1斗の魚油がとれる。それくらい脂肪ののりきった太った鰯であった。(あぐり船は3隻で操業する。その3隻とも満杯になるほどの大漁との説もある) 五つとせ いつ来て見ても干鰯場は 空き間も すき間も 更になし この大漁船 【注】 ほしか…生鰯をそのまま海岸の砂地に干して作る肥料のこと ほしか場…ほしかを作るために生鰯を干す場所 【解釈】 いつ来て見ても鰯が大漁なので,ほしか場は空き間もすき間もないほど,たくさんの生鰯が干してある。 六つとせ 六つから六つまで 粕割りが 大割り小割りで 手におわれ この大漁船 【注】 六つから六つまで…朝六時から夜六時まで。ここでは朝から晩まで。 粕割…生鰯を大釜で煮て,それを圧搾機で締めると〆粕ができる。それを今度割って天日に干すのである。これを割ることを粕割という。 大割…圧搾機で締められた固形の〆粕を木槌で粗っぽく割る。 小割…粗っぽく割った〆粕を今度は手で一匹くらいになるように小さくほぐす。 【解釈】 朝から晩まで〆粕を大割小割にしているが,あとからあとから来るので手におわれ,休む暇もない。 七つとせ 名高き利根川 高瀬舟 粕や油を積み送る この大漁船 【注】 粕や油…〆粕の副産物として鰯油がとれる。〆粕や干鰯は肥料として,鰯油はカンテラや灯油用に使われた。 【解釈】 名高い利根川の高瀬舟は,今日も〆粕や干鰯を積み送っている。 八つとせ 八手の沖合 若い衆が 万祝い揃えて 宮参り この大漁船 【注】 八手の沖合…八手網船の漁労長 万祝い…船主から沖合・漁夫たちに贈られる大漁祝いの衣装 【解釈】 大漁を祝って船頭や若い衆たちが,各船主から贈られた万祝を着て,川口明神,渡海神社や大杉神社などに宮参りに行った。 九つとせ この浦守る 川口の 明神 ご利益あらわせる この大漁船 【注】 この浦…浦とは海岸という意味であるが,ここでは銚子浦のことをさしている。 川口の明神…川口神社 【解釈】 この浦,つまり銚子浦の川口明神は,漁船の守護神であり,ご利益あらたかでこの大漁となったのである。 十とせ 十を重ねて百となる 千をとびこす 万両年 この大漁船 【注】 万両年…大漁で千両も万両も収入のある豊漁の年の意味である。 【解釈】 十を重ねて百となる。千をとびこすこのような大漁年となった。 |
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