徳島県: |阿波よしこの(阿波踊り) |祖谷の粉ひき歌|
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阿波よしこの(阿波踊り) |
毎年夏が来ると,徳島を熱くするものがあります。それは阿波踊りです。8月12日から15日を中心に,徳島は踊りの渦に巻きこまれます。踊る姿は,女の人は編み笠を目深にかぶった鳥追い姿,男の人は浴衣姿で,町中を踊り歩きます。このとき,地域や職場などの人で構成された「連」と呼ばれる50人から200人ぐらいのグループで踊ります。この連にはいろいろあり,踊りの上手な人たちが集まった有名連や子どもたちによるチビッコ連,飛び入りで参加することができるにわか連などという連もあります。 お囃子は三味線・あたり鉦・締太鼓・篠笛・太鼓でにぎやかに演奏され,全国からたくさんの見物客を集めています。 阿波踊りの歴史についても,ふれてみましょう。 豊臣秀吉から阿波の国(徳島)を与えられた蜂須賀家政が徳島城を築城し,その落成を祝って,町人にも無礼講が許されました。そのときに町人が踊った踊りが阿波踊りの元になっているといわれています。その原型が今も徳島市の津田町に残り,8月のお盆のときに津田の海岸で踊られています。現在の2拍子の軽快なリズムで踊られている阿波踊りと比べればテンポもたいへんゆっくりしていますし,お囃子も現在のものとはちがっています。 徳島県には,阿波踊りのほかにも盆踊り歌として残っているものがあります。県南の地方に伝わる「彦野心踊り」は,屋台を組んだ上で歌い,その周りを人々が色々な変装をこらして踊ります。「獅子舞い踊り」なども各地で保存されています。 |
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祖谷の粉ひき歌 |
徳島県と高知県の県境に位置する祖谷地方は西と東に分かれていて,現在,県の代表的な民謡といわれているのが,西祖谷地方に伝わる「祖谷の粉ひき歌」です(「祖谷の粉ひき節」ということもあります)。この歌は徳島県の代表的な仕事歌とされ,昭和34年に西祖谷山村善徳の豊永カズエさんが歌ったものが採譜され,現在に至っています。 また仕事歌としては,このほかにも鳴門地方に伝わる子守歌,麦打ち歌などがあります。 祖谷地方では,麦や稗・そば・大豆といった穀物しかとれなかったため,粉にすることによって食糧としていました。そのため,毎日夜なべ仕事として粉ひきをしていました。昼間の重労働の後の夜なべ仕事は本当に大変なもので,おそってくる眠気とたたかうために,口からつい出たのが粉ひき歌だったといわれています。テンポ的には,日本で伝えられている仕事歌「牛追い歌」などと同じようにゆっくりとしたものです。 歌詞の中に出てくる「かずらばし」は,植物の太いつるでつくったつり橋のことです。現在,祖谷地方には東祖谷山村の奥祖谷二重かずら橋と、西祖谷山村にある善徳のかずら橋の2つがあります。 |
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