|特別対談|佐野 靖 先生 × 今井由喜 先生
渋谷区では令和6年4月より、文部科学省「授業時数特例校制度」を活用した、探究「シブヤ未来科」と呼ばれる総合的な学習の時間の大規模な拡充が行われています。「シブヤ未来科」は、教科の学習で培った見方や考え方、スキルを日常生活や社会を考察する場面で生かせるよう、グローバルな視野をもった主体的な探究活動を充実させ、生きて働く本物の学力を身に付けることを目的としています。全国で初となるこの取り組みについて、徳島文理大学教授*の佐野 靖先生を聞き手に、本授業者で渋谷区立渋谷本町学園中学校主任教諭の今井由喜先生にお話を伺いました。
* 役職は(令和6年4月1日時点)のものです。
佐野:今井先生がお勤めの渋谷区立渋谷本町学園では、今年度から探究「シブヤ未来科」の取り組みが始まりましたね。
今井:「シブヤ未来科」は渋谷区の全小・中学校が対象で、本校の場合、月、火、木、金曜日の6校時が全て探究の時間となります。各校で総合的な学習の時間の授業時数を捻出し、探究的な学習ができるような基盤づくりを行いました。そこからどのように授業を行うか、現在検討を進めているところです。学習指導要領には、もともと総合的な学習の時間に“探究”という言葉が使われてきましたが、多くの学校でうまく扱われなかったという経緯があります。それを反省し、探究から目を背けずに学びを深めていこうという時代の流れが、「シブヤ未来科」の出発点だと思います。
佐野:「総合」のテキスト監修に向けて総合的な学習の時間の活動に前向きな学校や地域の取材を続けてきたので、「シブヤ未来科」についても肯定的な感情をもっているのですが、一方では、「ついていけない」「教科の時間を減らしてまで行う価値があるのか」などと否定的な意見をもつ方もいますよね。未来思考ばかりにとらわれず、今までやってきたことをきちんと振り返ること、そして協働や探究のあり方を問い直し、どんなことができるのかをさまざまな教科の方と議論することはとても重要だと感じます。「シブヤ未来科」は、これまでと違った多様性や可能性を、それぞれの教員が見いだすよい機会になると思います。
今井:総合的な学習の時間は、どうしてもこれまで都合のよい時間で来てしまったんですよね。やりたいことがあるけれど教科の時間を削るわけにはいかないので総合的な学習の時間で扱う、というような使われ方をしているのが多かったのも事実です。修学旅行の調べ学習など、実はあまり探究的ではないことが多いんですよね。調べ学習では、 ほんとうは分かっていないのに分かった気になってしまうことも多い。なので、地に足の付いた活動を通して心を動かすことが大切なんです。また各教科の学習で、その教科の見方、考え方を身に付けさせたうえで、総合的な学習の時間の知恵をみんなで絞ることにより、探究の学習はすごくおもしろいものになると思います。
佐野:総合的な学習の時間の捻出のために削られた各教科のアイディアを持ち寄ることで、新たな探究が生まれることもあるでしょう。あるいは、教員どうしの新たな一面を発見する機会になるかもしれないし、教科であまり目立たなかった生徒が急にやる気を出したり、大人から意見を引き出す能力を見せたりするかもしれません。そういったコミュニケーション能力なんて学校の中だけでは見いだせないこともあるので、総合的な学習の時間が教員と生徒一人一人の立ち位置や可能性を見直す機会になるといいですね。そうすることで、みんなが「総合的な学習」を自分事として捉えられるようになると思います。
今井:やらされていると感じてしまうと、どうしてもつまらなくなってしまいますよね。
佐野:総合的な学習の時間がマニュアル化すると、本来の意味での協働的探究は生まれなくなってしまいます。協働的探究という点では、本質的に音楽と「総合」は共通性があると考えています。しっかりとした音楽の授業ができる先生は、総合的な学習の時間にもその能力を十分に発揮できるはずです。ただし、地域や学校、教員によってこれまで以上に格差が生まれてしまうのではないかと危惧しています。これからは年間指導計画どおりに授業を消化していくだけではなく、学校や教員が地域も巻き込んでより戦略的に動いていく必要があるでしょう。
今井:ある程度のねらいと構想をもちつつ、授業中の生徒の取り組み方を見ながら柔軟に授業内容を変えていくという方法は、音楽と「総合」の親和性が高いと思います。
佐野:授業を進めるうちに「もっとこんなことができる」「これはちょっと厳しかった」とか、あるいは生徒がおもしろい情報をもってきたからそれにのっていくとか、そういうのってとても楽しそうですよね。
今井:ただし、そうした授業の導入づくりがとても難しいんです。入口を狭めたらよくないし、だからといって「なんでもいいよ、好きなことを調べてごらん」と言っても新しい世界を広げることはできない。例えば、音楽の創作で厳密なルールを設けると型にはまった作品しか出来上がらないけれど、最低限のルールだけを示すと実にいろいろなタイプの作品が生まれる。創作の授業でいうところのうまいルール設定のような授業の肝を見つけるのが、なかなか難しいと感じています。
佐野:各教科は何十年もの蓄積があるので、経験的にも研究的にも間違いが起こりにくいけれど、総合的な学習の時間ってまだよく分からないじゃないですか。だから最後の成果発表だけで終わらせず、右往左往しながら試行錯誤したプロセスをきちんとまとめて、それも生徒に発表してもらえばよいわけです。自分たちが歩いてきた道筋を示してくれるような役回りがあってもいいでしょう。みんなが同じ方向を向いて同じ課題に取り組むだけの授業とは違う、これまで見えなかった生徒の人間関係や多様性、その人のもっている力やセンスのようなものが前に出てくるとおもしろい発見があるはずです。教員が口を出しすぎて、いわゆる「お勉強」になってしまわないことが大切だと思います。
今井:今年度、私の学年では、探究「シブヤ未来科」の大きなテーマを「自分たちの舞台芸術をつくる」としました。学校の近くにある東京オペラシティや職場体験で伺った新国立劇場などとも連携できる可能性があると思い、このようなスケールの大きなタイトルにしています。
佐野:いいですね。いろいろな教科が関われそうです。
今井:私の学年には、国語科、数学科、英語科、音楽科の教員がいるので、それも利点だと思っています。「舞台芸術をつくる」うえでおそらくいちばん大事なことは、「何か言いたいことがある、伝えたいことがある」という思いを生徒がもつことです。生徒が思いをもてるような取り組みを積み重ねていけば、生徒たちは絶対何かを形にするだろうと思っています。「シブヤ未来科」の授業はまず「舞台芸術って何?」から入る予定です。「舞台芸術」と言われても、それが何かを答えられる人は意外に少ないと思うんです。
佐野:「舞台芸術」といっても、日本と西洋とでは全く違ってきますよね。
今井:それぞれ知っているものが違うし、皆目見当がつかないという生徒がいるかもしれない。そこで、まずは「舞台芸術」について個々で調べた結果を廊下の掲示板にどんどん貼って可視化し、その掲示板を見て自分が知らなかったことを知り、興味をもったものについてさらに調べ、その先は状況を見ながら考えるということにしました。
佐野:学校の立地条件を味方にして、舞台芸術に関わる「本物の人」に触れる機会をつくるのもいいですね。都会には都会の、また地方には地方の「総合」があってよいと思います。みんなが同じテーマで行う必要はありません。
今井:最終的にはお芝居や音楽、ダンス、またそれらを絡めたことなど、いろいろな生徒が出てくると思っています。
佐野:ひょっとしたら監督やディレクターのようなことをやる生徒もいるかもしれない。または、舞台芸術をつくって発表していくための裏方に徹する生徒がいてもいいと思うし、その作品をつくるためにはどういう人たちがどのような役割をもっているのかを調べるグループがいてもいいですね。そうした中で、これまで気付かなかった互いのよさや意外な一面を知ることができる。生徒にとっても教員にとってもたいへんよい刺激になります。探究を通して互いを認め合い、関係性を深めていくことが大切です。
今井:活動を進めていく中でこれまでの「総合」の反省を生かし、「その活動が探究的な学びにつながるのか」という視点を大切にしたいです。
佐野:これまでに続けてきた活動を生かしながら、アレンジしていくというのも想像力の一つです。ゼロから何かを始めるというのはとても大変なことなので、逆に総合的な学習の活動を通して自分の教科の授業を見直してみるなど、反省の機会にするのもよいと思います。
Vent:生徒や教員にとっては大変なことだと思いますが、教員のプロデュースで生徒一人一人がさまざまな役割をもち、教科の学びや個性を生かしながら総合的な学習の活動に取り組むことで、音楽の教科教育だけではなしえない、本来音楽がもっている大きな力に触れることができるのではないかと期待が増しました。
佐野:とてもわくわくしてきますよね。
今井:どういうものが出来上がるのか、とても楽しみにしています。
佐野:やってみておもしろければいいんです。たとえ裏方でも一人一人がやりがいを感じながら取り組むことで、新しい自分を発見できる。発見しようという意欲をもたないと、発見もできません。そういうモチベーションをもてるようにするのが教員や管理職の役目だと思いますよ。集団の中には必ずネガティブなことを言う人がいます。しかし、そういった人たちをも巻き込んでいくことが、学校経営の新たな転機、契機にもつながると思います。